シークの寺院
きづくと、シークの寺院にいくことが多くなっていた。
インドの精神世界の教えへの関心が生じつつはあったものの、寺院にまで行きたいとは思っていなかったし、わざわざ自分で寺院をみつけて来たわけでもない。
自分が寺院を探したというよりは、寺院に吸い寄せられた感が強い。
なぜだか、寺院に来させられたのだ。
シークの教えは、ヒンズーの教えから来ているものであり、ワンネス(森羅万象は一つ)を教えの中心においているらしい。
(寺院に参拝に来た方が自分のもとにきて教えてくれた)
この寺院に来る方は、インド(正確には、プンジャブ地域)から来られた方々だが、日本から来た私を母国(インド)から来た人たちと差別なくウェルカムしてくれる懐の広さを感じる。
それもワンネスの教えあってこそかと思われる。
寺院の前には、小さな看板があり、そこには、
“ Love All Feed All ”
(みなを愛し、みなを食べさせる)
と記されている。
言葉のとおり、この寺院に来ると、インドカレーを無料で食べることができる。
カレーだけいただいて帰るのは申し訳ないので、私は食後に奉仕活動をさせていただくのだが、そのおかげで、寺院の聖職者たちやそこで働かれている方々と仲良くなることができた。
私が来るたびに、寺院で働いているおばさんが、
「食事は食べたか?」
と手を口にあてるジェスチャーをしながら、笑顔で聞いてくれる。
私が食後に掃除を手伝うことを知っているからでもあるのだが、歓迎されているようでうれしい。
寺院の食堂でインド人の方々と混じって食事をしていると、ふと、「過去生なるものがあったとしたら、自分はインドにいたかもしれない」というような気持ちになることがある。
それは、彼らの中にいても自分があまり浮いている感じがせず、溶け込んでいるような感じがするからでもある。
(自分が奉仕活動を積極的にしていて、食事をしにきても、後ろめたさが無いからというのも勿論あるのだろうが)
そういえば、もう20年以上も前にインドに行ったことがある。
死者を火葬し、その灰をガンジス川に流すことで有名なバナラシーに行き、ガンジス川に飛び込んだのが懐かしい。
当時、インドはまだまだ未開の地で、街は汚く、自分も地元の人にだまされたり、不衛生な物を食べて病気になったりと、
正直インドにはあまり良い思い出はなかったのだが、もしかすると、インドとは何か縁があるのかもしれない。
過去生で、インドの神殿で、踊りでも踊っていたのだろうか(笑)
やはり、この寺院に引き寄せられたことは偶然とは思えない。
偶然というには、ここに辿り着いた流れが不思議すぎるのだ。
これは必然的なものであったのであろうか。
自分は、ワンネス意識を語るほど、できた人間ではないことは知っている。
ワンネス意識を語るには、まだまだ、我(エゴ)を取り除いていかないといけないだろう。
これから、果てしない挑戦が待っているのかもしれない。
ワヘグル ジカ カルサ ワヘグル ジキ パティエ
2026年07月23日 11:56


